世界一周記念日です
あらゆるタイミングと条件が揃ったんで
悲願だったキャリア替えを敢行
ほんの少し、TU-KAユーザー最後の1人になるまでTU-KAで通すかとも考えたんだけど、やはりあまりの電話機の手抜な作りがもはやがまんの限界となり、この決断に至る。
どMacユーザーでTU-KAなんて、マイノリティ中のマイノリティなわけで、
同じ境遇の方が何人いるか知りたい今日この頃だったんだけど、ついに卒業。感慨無量。
本来なら、
6年前の僕はボーダフォン(当時→デジタルツーカー、後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)を選択したかった。
しかし、総務省の移動通信体の周波数割り当て政策のど阿呆が原因により、日本における携帯キャリアの勢力関係に無知だった僕は、ボーダフォン(当時→デジタルツーカー(ただし山形県)、後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)を選択したつもりが、実はツーカー!!であるという事実を契約してから知るのであった。
当時の記憶が曖昧なので正しくないかもしれないけど、
当時住んでいた山形(東北)のキャリアは
1 DoCoMo(多分永遠にDoCoMo)
2 デジタルツーカー(後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)
3 セルラー?(多分IDO系? 今はauになってると思う。)
だったと思う。
んで、
大学を卒業。
帰郷を機にPHSから携帯に変更と企んだわけだけど、
関東地方のキャリアは
1 DoCoMo
2 東京デジタルホン(後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)
3 ツーカー(将来auに統合)
4 IDO(後のau、現在はKDDI系だけど、IDOはたしかトヨタ系の会社で当時の資本関係は僕には不明)
だった。
当時の僕は混乱する。
山形で3つの携帯電話会社は東京では4つあるよ?!
んで、当時山形ではDoCoMoでなければデジタルツーカー(後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)が多かったため、同一キャリア内の通話の利便性を考えるとデジタルツーカー(後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)にしたいと考えていた。
がしかし、首都圏にデジタルツーカー(後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)はない。
んで
デジタル
と
という
デジタルツーカーをばらばらにした名前がある会社がふたつあることに気づくわけです。
卒業間際、都内で就職活動中(恥)の合間に契約せざるおえず(当時なぜかはわからない)、時間がないなかでの選択だったため十分な調査の時間がなかった。
しかも、携帯電話端末はデジタルツーカー(後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)と両方ともおなじだったためツーカーを冠したほうがより山形のデジタルツーカー(後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)に近いと思ってツーカー(TU-KA)にしてしまうのだった。
そして悲劇がはじまる。
たしかに最初はデジタルツーカー(後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)とツーカー(TU-KA)に差異はあまり感じなかった。
キャリアが違うので、キャリア内の電話料金の優遇がないのが痛いくらい。
でも、ツーカーは当時、目をむくほど安かった。いまでもその料金プランは安く、現在のプランの方がむしろ高くなっているくらい、6年使い続けている僕は、この間までそのプランだった(夜中とはいえ4700円のプランで1分15円だなんて信じられますか)
しかし、最後発のツーカーは業界再編の波に乗り遅れる。
東京デジタルホンはJ-PHONとなって全国ブランドになる。
IDOもセルラー系と共にauとなり全国ブランドになる。
で、ツーカーは東京と大阪と沖縄?ぐらいしかないキャリアになり、
地方にいるときはボーダフォン(当時→デジタルツーカー(ただし山形県)、後に→J-PHON、現在→ボーダフォン、将来→ソフトバンク)やauにローミングしてもらう状態となる。
前は、浜崎あゆみが宣伝してる携帯とイメージは悪くなかったものの、今は老人用の携帯会社の様相を呈する。
携帯電話機はメーカーが露骨に手抜きで開発する。
いまだに液晶の精細さに欠く。
種類が少ない。
枚挙に困らない。
ソフトバンクに身売りの噂など、もう悪夢のようだった。
しかし、去年の末
状況が一変する。
TU-KAユーザーはauに電話番号とメアドをそのままに替えることが可能になったのだった。
そして春。
かねてから、とにかく四角い携帯が欲しいと思ってたら、出た。
『neon』である。
というわけで、
携帯、流浪の旅人から
一気に第三世代携帯のどメジャーになり、歓喜。
TU-KAでは不要だった、パケット地獄の心配ではあるが。
つづく